卒業研究中間報告会

 大学の卒研の中途発表が終った。といっても少し前の話になるのだが。少し時間が経ってしまった。
 某ちゃいなに添削されつつ(苦笑)無事滞りなく発表することができたが、「何がいいたいのが分からない。」「それじゃやっぱりダメだね」といった微妙に全否定だけど具体的に何が悪いのか良く分からない教授の質疑応答が続いた。あと、予想していた問題も指摘され、少し目的やら背景をいじればよさそうな感じだった。それと、こだわりは少し捨てたほうがよさそうだ。「もうひとひねり欲しかったよ」などと、休憩時間に教授に言われる。素敵に意味不明な感じがしたが、それほど彼を失望させていない感じはしたので、一安心である。
 先輩からは「ひどいよなぁ。あの言い方はさぁ」って言っていた。教授は元シアトル住まいの方なので、少し日本人的ではないと思うが、そういうすれ違いがあるのだと思う。しかし、いちいち私に対する教授の発言にまでキレてくれるっていうのが、少しおかしな感じもしたが。

討論

Life is beautiful: ディベートは 楽しくするもの したいもの
 とここにもあるが、「人格を攻撃しているわけではなく、意見に対する攻撃」なのだ。日本人的にはそれがなかなか苦手だと思う。
 特に日本人が他人に異見を示す場合というのは非常に気を使う。「相手に対して敵意が無い」といったことをやんわりいれ「より貴方の意見を向上させる」ためにといった発言をいれるのだ。こういったものは、省かれるのが欧米のやり方?というか、本来あるべき討論の形なのだろう。何はともあれ、なんでもかんでもそういった方法をとっている教授にも問題があるが。
 普段の会話や相談でも、討論のようなやり方をしていたら、引いてしまうのは当然だと思う。
 仲の良いヤツで上記のような会話のできるやつは、それなりにそういう話し方もするのだが、回りがヒドい言い方だとか、暴言といった取り方をしている。現代日本にいまだのこっているのが和であり、それを乱すのが異見である。

日本人的コメント

 発言は、かならず相手に対して敵意が無いことを示さねばならず、それが難しいのであれば言及することがはばかられる。日本のブログにコメントが少ないのもそのせいではないだろうか。
 質の高い2chねらだと、ちゃんとした討論的内容のコメントがつく。低いとただの人格攻撃。そして、スルーされる。釣られるのは日本人的思考の特徴かも。