やっぱね

 研究って難しいのですよ。特に、ああもうこの研究だめだな。こりゃ使えない。って自分の中で結論が出ても、卒研として発表するためにまとめなきゃいけないのが非常に辛い!
 それはそれで割り切って、研究や論文発表という初体験を経験するための手段として利用してるとすり返れば自分の中で納得がいくわけです。
 そんなまとめに入っているときでも、教授は問題を突いてくるわけですね。話を聞いていると始めは纏める方向であり、ある程度具体的な記述への指摘なのです。そしてだんだん横道にそれて、目の前の研究の話というより、「研究というものは」といった不定詞が付きそうなネタにもっていくのです。つまり、目の前にある研究じゃなくて、一般的にヒトが頭に研究といわれて想像する概念はこういうものっていう話なのです。
 おそらく、こういう話は今後について必要なのでしょう。自分でも納得のいく話だと思っていますし。聞けば聞くほど自分の未熟さが自覚できます。
 結果として、卑屈になっちゃうわけですが。
 未熟なのも、無知なのも罪ではない。むしろそれを自覚することで、新しいことが学べたり新しい経験を積もうとするわけで。
 こうやって、脳内で自分を正当化しつつ、稚拙で愚かしい研究を割り切って発表しなければならないわけですね。
 ひょっとしたら、この研究やっぱダメですよね(苦笑)なんて教授にカミングアウトしちゃった方がいいのかもしれませんね。もしかしたら、教授は「この学生はこの研究が有効であると妄信的になっているのかもしれない。どうやったら気づいてくれるだろうか」といった考えなのかもしれないですし。
 でも、研究って、ダメダメな奴をちょっとずつ理論で固めて、試行して、確かなものにしていくようなイメージがあるのですが。これダメだなってのはどこで割り切ればいいのか・・・。