大学

 うちの研究室の教授は、アメリカの大学を卒業している。
 私は、現在その教授の研究室に所属する、情報工学科4年。来年は、大学院に進む予定だ。早生まれなので今年で21になる。こんな私に、少し前になるが、「アメリカ留学というのもあるよ?」と教授が教えてくれた。「大学から補助金がでるから」といったことも教えてくれた。これは、私にとってとても魅力的だったが、それでもやはり経済的に厳しいということ、英語が苦手なこと。そしてなにより、自分にそこまでする価値が見出せなかった。という口実で実はそこまでする根性がなかったりするのかもしれないが。
 そんなおりこんな記事を見つけた。

もしこのブログを読んでいる学生で、自分が上に書いたような状態にあると感じているなら、思い切ってアメリカのリベラルアーツの学校に編入することを考えてみるのも良いかも知れない。当然楽な道ではないし、少し遠回りになるだろうが、「自分が本当に楽しめる仕事を見つける」、ためだったら少しぐらいの努力や遠回りは惜しむべきではないはずだ。終身雇用制が崩壊しつつあり、高度経済成長期の常識が通じなくなりつつある今の日本において、「どの会社に入れば安定した人生を送れるか」という消極的な考え方ではなく、「どんな仕事がしたいか」、「どんな才能が自分にあるか」を良く見極めて仕事を選ぶべきである。

 satoshiさんのブログで見つけた記事だ。上のような状態というのは、日本の受験システムに侵され、「自分の道を自分で切り開けなくなった人」そういった感じのこと。
 確かに、私の周りにはこういう人が多いかもしれない。自分のやりたいことがわからないと言ったり、未来への予定?願望?みたいなものがあまりに希薄だったり全くなかったりすること。話をしていても、「自分のことだぞ?いいのか?」と思ってしまうことがある。
 そこは、「他人のふり見て我が身を正せ」といった心情にのっとり、自分はそうならぬようあろうと思う。だけど、周囲の環境がそうだとやっぱりやりづらいこともあるわけだ。モチベーションが保ちにくい。といった結構自分勝手なことばかりだが。

 とするとアメリカの大学には、開拓者がわんさかいるんだろうか。なら、やはり魅力的だといわざる終えないだろう。けど・・・やっぱ留学は無理orz

コメント欄にはこうある

「自分なりの価値観を養う」ことなく大学生になっているためではないか、と私は危惧しています。

 改めて、こう思う。口で言うのは簡単だ。そして、「じゃあ、こうしよう」って思うのも非常に容易だ。だけど、自覚し実際に養うとなると、自分でもどうしていいか分からない。私の場合は、不安定だ。一つの価値観を持っていたと思っても気づくと意見がそれていたりする。しっかりとした一つの価値観を貫くことすらできていないのかもしれない。
 そしてもし、「学校」というのが「価値観を養う場」であるなら、中学行ってなかったりする私は人より欠落してるんだろうか。

#大切なもの・・・私を左右する価値はどこにあるのか。