黒板をノートへ書くことに意義はあるか

昔から思っていること。本当にながながと、でも板書することが勉強であるような教育であり、板書自体が成績になるようなこともあった。書き写したノートの提出を要求され、レポート扱いになるなど。
それでも、小学生のときは、「ただ書き写すのではなく、自分に分かる形で書くのがいいのだ」という先生もいた。しかし、それも一時的なもの。また、自分で考えを練り上げ、変換しノートするような余裕などなかった。

黒板をノートへ書くことに意義はあるか

これは大きな問題だ。現在の授業はほぼこれといっていいし、小学校から、まさに大学までそんな講義が続いている。
板書の内容などテキストにちょっとプラスしたようなもの。だから、教科書にメモってしまえば良いのではないか?と考えたこともあった。実際に実行したが、(確か国語の授業か何かだったとおもう)これはあまり良い方法ではなかった。実行している友達もいたが、ほとんどみんなすぐにやめてしまった。
プレゼン形式の授業では、スライドを印刷してくる教授もいるが、あまり上手くない。
90分だ。90分。
この時間内に、どれだけのことが覚えられるであろう?
そして、いったいどれだけの情報整理ができるというのだ?
実験や、演習なんかでしか学べないこともある。それでも、90分だ。

問題は複雑だけど、実際のところいろいろとある。
科目や、教えることが何かによって、適切な手段は変わってくる。その大半が板書という方法がベストというのはやはり疑問。
人数の問題もある。的確な授業をやったとして、質問が生徒からでるとするだろう。それを時間内に全て答えることができる?
半分の生徒に50%以上理解させたら、それこそ奇跡というものではないか。

現在の大学の授業?というか、私の大学ではそうだとおもう。
適当に板書、テスト前の過去問。あとはテスト範囲の勉強。
これぐらいなのだ。
これが授業ってのが笑える。
知的活動?頭を使ってる?本当に考えている?そして、考えるのに最適な授業って何?

だけど、そこまで教師に求めるのも無茶なのだろうか。
一度の授業で教えるべきサマリを開始時と終了時に説明するだけでも大分違うと思う。

思い切って、板書せずに、マインドマップでも書いたら良いような気がしてきた。

変わらないのかな

板書するだけなら、小学生でもできるわけだよな。
大学生と小学生で、授業の受け方が同じってのもオカシイ?