会社の試験を受けてきた。

  • 基本的なファイルなどの操作をUNIXで行う。
  • gccの使い方。ライブラリ、デバッグ、diffからpatchなど。

こんな感じの基本操作をテキストを読んで勉強し、当日は、ちょっとした応用問題を解く形式だ。
問題文を読む限りでも結構意味不明だったり、いったいどんな意図があるのだろう?と思っていた。とても、初心者向けの文章ではないし。寧ろ、ここを調べておいてね。といった走り書きがいっぱいで、あとは哲学的なこういう心持でといったことが書いてあった。

会社で試験を受けてから、そのあとお話を聞いたわけだが、この試験の意図はつまり、自分でいろんなことを調べて欲しいということだった。
特に、manを使う。googleを使う。といったことを習慣として身につけて欲しいというのがおそらく狙いなのだろう。
ただここで、私は言いたい。

このような問題の出し方や、テキストでそういった習慣は絶対に身につかないと思う。それらのことが身につくのは、問題にぶち当たったときに、誰かに聞いたり調べたりするといった作業を繰り返すうちに、勉強する方法を知るからだ。
テキストにこうやって調べようね。と書いてあって、それを読んだから、そういう行動がとれるようになるなんてのは理想論であると思うし、そんなことは実際ありえない。
一番いいのは、困らせてみる。ヒントを与える。考えさせるということ。
だから、問題をわんさか出して、質問を受け付けて、ココを調べて見て!とヒントを出すぐらいにしておくとかね。そういうのが良いと思う。試験でそれを見るというのはちょっと疑問だった。
それと習慣にしたいなら、短期間でちょこちょこ簡単な問題を出して、調べさせる方が良いと思う。

いきなり、こういう困った状況で、こういう発想をすれば、ここを調べるよね!とか言われてもだれもできません。。。